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お酒のお供

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国語に関する世論調査の結果への考察

考察 国内

目次

 

こんにちは。

 

〈この記事内では、脚注を用いています。「*1」のような数字は脚注番号を示します。本文中の脚注番号をクリックすると当該脚注にジャンプし、再び脚注内の脚注番号をクリックすると本文中の元の位置に戻ります。〉

 

先日、文化庁による国語に関する世論調査 *1が発表されました。マスコミなどでの報道では、いわゆる「ら抜き言葉*2や「さ入れ言葉*3が大きく取り上げられていましたが、これを含めて考察していこうと思っています。

世論調査の結果発表から数日経ってしまいましたが、その分深く考えたつもりです。

以下では、項目分けをしながら述べていくこととします。

 

1 「ら抜き言葉

結果と概要

今回、最も大きく報道されたのはこの点です。調査開始以来、「見られる/見れる」と「出られる/出れる」において初めて「ら抜き言葉」の使用率が「ら入れ言葉」(そういう言い方をするのか分かりませんが)の使用率を超えた、ということがその理由でしょう。

これに対する人々の反応はほぼ二分されていたように思います。「『ら抜き言葉』は可能の意味でしか使わない*4ため分かりやすい」という側と「『ら抜き言葉』は許容しがたい」という側です。前者の立場には、これに加えて「言葉の移り変わりは当然」という点から許容する意見もあります。

言葉というのは生き物に例えられることもあるほどですから、時代の流れのなかでは、誕生し、変化し、消滅するということはあって当然のことです。その点からは、「ら抜き言葉」の広がりを問題視する必要はないのかもしれません。

英語では

実際に英語においても、表記上の例であればcolour(英)―color(米)のようなものがありますし、questionの発音に関しても、一部地方に限られるような訛りを除いても*5/kwéstʃən/や/kwéʃən/、/kwéʃtʃən/などのパターンがあるのは事実です。文法・語法上の面では、「~に行ったことがある」という意味での英語はhave been to ~のみならず、have gone to~もアメリカでは普通に使われています。誤りが誤りでなくなるということは考えるよりも頻繁に起きていると言えそうです。

ただし、言葉の流転をどこまで認めるか、という点については、統一した基準はなくともそれぞれの人が心に持っておくべきだとは思います。例えば、「ら抜き言葉」が可能だけではなく受身として使われるようになったときにどう反応するか、ということです*6。助動詞「られる」が消滅することは当分ないにしても、その他の単語を含めて日本語のボキャブラリーが減ることがないように願いたいところではあります。

 

2 「さ入れ言葉

所感

本来入るはずのないものが入り込んでいるわけですから、個人的にはとても気持ち悪い言い回しだと思っています。「拝」という文字の右側に5本も6本も横線を書くかのような違和感を抱かざるを得ません。

とはいえ「さ入れ言葉」が使われていることは事実ですし、「ら抜き言葉」と同様に検討してみることにします。

そもそも「さ入れ言葉」ですが、助動詞「せる」の代わりに助動詞「させる」を入れ込んでいる使い方と見えます。こう考えると、「ら抜き言葉」の正反対のパターンということになり、これが一般的であり素直な分析なのだと思います。世論調査における設問の作り方とその結果解説の内容から考えると、世論調査を行っている文化庁も、助動詞「せる」「させる」の関係から読み解こうとしているのではないかと推測されます*7

もしかして?

しかし、もう一つの見方があるような気がします。すなわち、関西弁語尾の標準化ということが関係しているのではないかということです。

一時のお笑いブームも後押しとなって、関西弁の語尾が全国的に定着もしくは頻繁に使用されるようになっているのは否定しがたい部分です。若者を中心に、関西のルーツがなくとも「~やん」「~すんねん」という言い回しをする人は増えつつあるように見受けられます。

そしてそれ以上の関西弁語尾の例が、「書か」(書かせる)や「飲ま」(飲ませる)、「食べさす」(食べさせる)を代表とするような使役の意味での「~す/さす」です*8。これは、18ある現代国語(口語)の助動詞ではありません*9ので、やはり現在は方言としての語尾といえます(おそらく、文語における使役助動詞が生き残ったものでしょう)。

しかし、実際にはかなり全国的に定着しています。例えば、先輩に一発芸を強制されたときには、「一発芸ををやらせられた」(「~せる」。標準語)よりも「一発芸ををやらされた」(「~す」。関西弁)のほうがしっくり来るという人は多いはずです。

文法的には

少し話がずれましたが、「帰らさせて」という語法もこの「~す」語尾に関連しているように思えます。この使役の助動詞にとどまらず、現代語では「~す」の未然形は「~さ」になることが非常に多いのです*10。ここで、助動詞「~せる」は未然形接続ですから、無意識に直接接続させようとすると「帰ら-さ-せる」というような形になってしまうというわけです(もちろん、使役の助動詞を二つ重ねるのは教科書的な観点からは誤りとされうるものではあります)。とはいえ、やはり少し考えすぎなのでしょうか。

ちなみに、このような同じ意味の助動詞の重複というのはこれに限った話ではなく、大塚愛さくらんぼ』の「書き表せれない」にも通じるところです。今後、このような日本語が増えていくのかもしれませんね。

 

3 慣用句

「目覚めが悪い」「上や下への大騒ぎ」など、本来とは違う言い方をしている人が多いという結果が出ました*11。慣用句に関してはどの言語でも誤用が見られやすいものですし、時代の流れによって誤用が許容されることも少なくないようですから、さほど驚くことではなさそうです。また、慣用句の意味に関しては少なからぬ人が本来の意味とは異なって理解していることもあるようです(今回の設問では特にありませんでしたが、私自身も誤解している慣用表現はやはりあると思います)。そもそも「慣用句」ですから、人々の慣用に合わせて変化するのも当然かもしれません。

したがって、私は慣用句の結果については特段のコメントをするつもりはありません。ただ、「奇特」や「琴線に触れる」という言葉について「分からない」と答えた人がそれぞれ1割強、2割強いるようです。今回の世論調査の結果によると、テレビから言葉の使い方などを知ると答えた人が最も多かったようですが(複数回答)、テレビで出てきにくい慣用句となると、意味が分からない人が増えてしまうということなのでしょうか(「琴線に触れる」などは比較的使いやすい慣用句のような気もしますが)。慣用句の数や内容には、その国の文化レベルを示す側面も少なからずあると、比較文化を専攻している友人が言っていました。こなれた慣用句を使いこなせる人が増えるといいですね。

慣用 表現には寛容 な態度で対応したいと思います。

 

4 敬語・言葉遣い

私も22歳であり、「若者」の部類にぴったり収まる年齢ではありますが、敢えて「若者の言葉遣い」について意見したいと思います。これに関しては、私の個人的な考えに基づくことを特に補足しておきます。以下では10歳代と20歳代を合わせて「若者」と呼ぶことにします。

今回の世論調査の結果をみると、若者の言葉遣いに対する意識に違和感があります。まず、「中高生が担任の先生に対してどういった場面で敬語を使って話すべきか」という設問では、「敬語を使って話すべきだと思う」は,「授業中」「クラブ活動で指導を受けているとき」「休み時間に職員室で話すとき」「 休み時間に学校の廊下で話すとき 」「放課後,道で出会ったとき」という5つの場面について聞いていますが、これに対しておおむね3割から4割の人が「話題によると思う」「敬語を使う必要はないと思う」と答えています。「話題によると思う」と答えている人がどのような話題のときに敬語を使わなくてよいと考えているのかは知るところではありませんが、少なくとも先生に対していわゆる「タメ口」で話すことができる場面はあると考えている人が思った以上に多くて驚きます。

また、配達人に対して掛ける言葉についての設問もあります。これは、「お疲れ様(でした)」 「御苦労様(でした)」「ありがとう(ございました)」 「どうも」の4通りと、「何も言わない」という選択肢から答えます。これに関しては、掛ける言葉の選択肢の中で最もくだけていると思われる「どうも」と、「何も言わない」という2つの選択肢で10代が最も多い割合で答えています*12。大半の10代にとって配達人は年上であるはずですが、ここでも言葉で丁寧な感謝の言葉を使いにくい実態があります。それとも、10代の人の一部には配達人を目下に見ようとする気持ちがあるのでしょうか。

私は言語学は専門外であり、まして単なる大学生であるだけで国語学者でも教育学者でもありませんので、どのような経緯から上記のような若者のくだけた言葉遣いに繋がっているのか分かりません。しかし、小さな頃から丁寧な言葉遣いを心掛けてきた身としてはやはり違和感が残ります。

 

さて、ここまで「国語に関する世論調査」の結果を私なりに簡単に考察してきました。

言葉というものは学者が画定するものではありませんし、まして政府や文化庁が決めるものではありません。人々の間で使われていくなかで、日々変化していくものだと思います。その時々に合わせた「適切な」言い回しで会話がすることが重要なのでしょう。

合わせて、皆さんからのコメントをいただけたら幸いです。

 

以上、Penでした。(了)

*1:この調査は、国民の国語に関する認識などを調べるもので、平成7年度から行われている。今回は平成27年度版。

*2:例:「私はウニを食べられる」を「私はウニを食べれる」とするような語法。

*3:例:「今日は17時に帰らせていただきます」を「今日は17時に帰らさせていただきます」とするような語法。

*4:「~られる」は、可能・尊敬・受身の三用法があるとされる。

*5:英和辞典に記載されるような発音として。

*6:これは一例として挙げただけで、実際問題として「ら抜き言葉」が受身の意味で使われることはないと思われる。おそらく、「ら抜き言葉」は五段動詞の下一段化(可能動詞)とパラレルに使おうとする用法だと考えられるため、可能動詞が受身として使われることがない限り「ら抜き言葉」も可能の用法のみで使われるだろう。

*7:「見せる/見させる」はどちらも誤用ではないという文脈で、「『見せてください/見させてください』は,どちらも文法的には問題のない表現である。『見せてください』は,下一段活用の動詞『見せる』の連用形に接続助詞『て』と『ください』が付いた形,『見させてください』は,上一段活用の動詞『見る』の未然形に,使役の助動詞『させる』と『て』と『ください』が付いた形である」としている。

*8:大阪弁語尾を参照のこと。

*9:助動詞活用表を参照のこと。

*10:助動詞としては、「(問題などを)解かす」→「解かさない」、他の例としては、「出す」→「出さない」など。ただし、後者は現代語に五段動詞が多いことに起因するもの。

*11:そのほか、「愛嬌を振りまく」と「愛想を振りまく」が拮抗し、「そうは問屋が卸さない」は「そうは問屋が許さない」を大きく上回った。

*12:「どうも」に関しては他の年代で1.2~3.0%であるのに対して10歳代は3.6%、「何も言わない」は他の年代で0.4~0.8%であるのに対して10歳代は1.2%。