読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お酒のお供

お酒を飲みながら読んだら確実に悪酔いします。

リフレクション

Pen独白

夜空を照らす月。日々満ち欠けするその姿を、人々は呼び名をつけて表現しました。それらの中でも、「立待月」(17日目頃)や「臥待月」(19日目頃)などは特に人々の気持ちが現れているように思います。今となってはそのような感覚も薄れつつあるのかもしれませんが、これらの呼称は「月が『待つ』対象である」ということの表れなのでしょう 。夜の暗闇でひときわ明るく輝くその存在は、人工的な照明のなかった頃は尚更に待ち遠しいものに感じられたはずです。

考えてみれば、ひとというのは暗闇の中では不安を感じてしまうものです。自分がどこにいるのか知ることができず、他の人がどこにいるのかも分からないからなのかもしれません。それは、物理的に灯りがないという場合だけではなく、心の中で光を感じることができない場合、いわば精神的な暗闇の中でも同様だと思います。

 

ひとが目の前の道を進もうとするとき、世界は時に理不尽です。

どれほど努力しても報われないということがあります。自分というものを誤解されてしまうこともあります。自分で自分をどこか深いところに閉じ込めてしまって、そこから出てくる術を見失うこともあります。いつまでも抜け出せない螺旋の中で、迷ってしまうこともあります。

そんなとき、明日への希望は見えなくなってしまいます。心の中の灯火が消えてしまうのです。自分の周りが真っ暗になって、隣に誰がいるのかすら分からず、ただ孤独感だけが襲ってきます。

 

私も何度もそのような経験をしました。だからこそ、もしも心の暗闇の中でうずくまって動けない人が今いるのなら、伝えたいことがあります。

灯火が消えてしまったのは、誰のせいでもありません。まして、自分自身が悪いと考えてはいけません。自分を責めないでください。自分を責めることは、その暗闇に黒インクを重ね塗りしてしまうようなものです。

もう一つ。無理も厳禁です。先が見えない中で、それでも前に進まなくてはならないなどということは絶対にありません。辛いときには立ち止まっても良いはずなのです。焦る気持ちのままに動くとき、私たちは振り返りもせずに走ってしまいます。今いるこの場所にすら帰ってこられなくなってしまうかもしれません。じっと待っていれば、誰かがすぐに灯りを持ってきてくれます。大切なのは、信じることです。

 

たとえ今夜が新月でも、明日には必ず月の光が昇ってきます。それがどれほど細い光だとしても、確かに私たちを照らしてくれるのです。

雨の夜もあるでしょう。しかし、雨上がりに昇る月は、雨が空気中の不純物を洗い流してくれるおかげで、よりくっきりと、そして一層美しく見えるそうです。

 

「泣き晴らす」とは、いい言葉に思えてきませんか。