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お酒のお供

お酒を飲みながら読んだら確実に悪酔いします。

眠れない夜と消えない記憶

Pen独白

昨晩は床に就いても全く眠れず、ただ頭の中を色々なことが脈絡もなく巡っていくという苦痛を味わいました。一人でどうにかしようにもどうにもなりません。たまりかねてTwitterで助けを求めたところ、何人かの方が相手をしてくれました。すごく気持ちが落ち着きました。ここで感謝申し上げます。ありがとうございました。

そうはいっても、眠れない間をずっと付き合ってもらうわけにはいきません。しばらく経ってTwitter世界から離脱した私は、返信ツイートで得たアドバイスを実行することに。明日は特に予定はないから、今夜は夜更かしをしてみよう。

まずは音楽を聴き始めました。あまりアップテンポな曲を聴いては余計に眠れなくなりそうなので、少し穏やかな選曲です。それと平行して始めたのが「頭に浮かんでくることを書き出す」というもの。布団のなかで思い浮かんでいたことを思い出したり、その場でふと生まれた考えを書き留めたりしながら無地のノートに箇条書きにしてみると、本当に脈絡のない考えが連なってしまって、我ながら驚きました。そのメモの中に含まれていた「明日は○○(友人)の誕生日」というものが、少し心に引っ掛かるところがあったので、ここで更に考えを膨らましてみることにします。

 

このような言い方が適切かどうかは分かりませんが、私はひとの誕生日を覚えるのがとても得意です。一度聞けば、ほとんど忘れることはありません。今でも小学生のときの友人の誕生日を覚えています。

一方で、相手が私の誕生日を覚えているかといえば、そうでないことが非常に多くあります。たくさんの人に祝ってほしいということでは決してありませんが、自分が覚えていることを相手が忘れてしまうということには、やはり一抹の寂しさを感じます。もちろん、これは単なる記憶の持続の違いということだけであるとは理解しています。それでも、些細なことを忘れられない自分が相手から取り残されてしまったような感覚に襲われてしまうのです。

 

誕生日は一つの例ですが、私の記憶力が他人よりも少しだけ長けていることは自覚しています。このことは、殊に勉強の場面では有利に働く面は確かにありました。たとえばセンター試験では日本史B・世界史Bを選択しましたが、暗記にさほど苦労した覚えはありません(揚げ足を取られないように言っておくと、当然ながら全部を覚えられたわけではありません)。大学に入ってからも、講義の内容を半期の間くらいであれば覚えておくことができましたので、テスト前に焦らずに済みました。勉強嫌いの私にはありがたい能力だったかもしれません。

しかし、これを誇っているように思われては心外です。普段の生活の中では、歴史の事項をいくら覚えていようと法学の知識をどれほど蓄えていようと、何ら大きな意味を持ちません。日々暮らしていく上で大切なのは、ひととの繋がりをどのように作り、それを保ち、より深化させ、そして別れのときにそれを別れとせずにいかに別れるか、ということだと思うのです。そのような人間生活の根本の部分においては、記憶は時にひとを苦しめます。

 

――想像してみてください。

数年ぶりに見かけた友人と街ですれ違って、あまりの懐かしさに声を掛けてみたら、確かに彼は彼本人なのに、自分のことを全く覚えていない。

友人から直接聞いた話を信じ込んでいたら、しばらく経ったある日、それが全くの嘘だったことを別の人から聞いた話から悟らされる。

当初はメンバー全員で共有していた旅行の思い出が、時間が経過していくにつれて私だけのものになっていく。

何ヵ月か前に「私はレアチーズケーキが好きなの」と聞いたので、喜ばせようと思い誕生日にレアチーズケーキを渡したら「なんでレアチーズケーキが好きなことを知っているのか」と本心から不審に思われる。

どれも私自身がこれまでに経験してきたことです。映画なら悲劇のヒーローにでもなれるのかもしれませんが、私のような単なる一般人には、やはりただ寂しさだけが募ります。

 

確かに、忘れゆくことは物悲しさを伴うものです。楽しかった出来事や嬉しかった言葉、大事な思い出が自分の心から薄れていきます。心の拠り所を失ってしまって、途方にくれることもあるかもしれません。

しかし、忘れたくても忘れられないということは、忘れてしまうことよりもしばしば辛いことなのです。もちろん、悲しい記憶が胸に残り続けることは言うまでもありません。それとは逆に、自分が大切にしようと温めてきた気持ちを、ある時突然相手と共有できなくなったことを知ったときの虚無感は、忘れてしまったことの悲しさを凌駕します。片想いしている相手に、「昨年二人で行ったイルミネーションきれいだったね」と話しかけたときに「え、そうだったっけ」と軽く返されてしまうようなものです。それでもその記憶を心に留め続けようと思うでしょうか。片想いを改めて意識させられるような気がして、今すぐにでも忘れてしまいたくなるはずです。誰を責めることもできません。

 

冒頭でも書いたように、今日は友人の誕生日でした。しかし、私はお祝いのメッセージは送りません。私が遠くに住む彼を懐かしむ気持ちを、彼も同様に持っているとは限らないと知っているからです。

「そのこと」をいつか忘れることができるまで。それは他人の誕生日の記憶に限りません。一つ忘れたと思ったら新たな一つが頭にインプットされてしまう慌ただしい生活の中で、私の忍耐はずっと続くことでしょう。

 

消えない記憶の辛さを、いま改めて噛み締めています。